資料館別館入口
資料館掲示板入口
マンボウ資料館へご来館いただきまして、ありがとうございます。
SMビデオが初めて世に出て、もうすぐ30年になろうとしています。
時代の変遷とともに、ビデオという映像媒体その物が既になくなりつつあり、DVDとして復刻再発売されなかったSMビデオは、歴史の流れの中に消え去ろうとしています。
創世記のSMビデオ作品には、現在の作品にはない、「被虐美」や「暗い情念」、そして何よりも、製作者のSMに対する愛情と情熱があったように思います。
ここでは、その創世記の古き良き時代のビデオの魅力とその生い立ちの背景を、アートビデオを中心に語ります。
筆者の勘違いや誤記入などありましたら、ご指摘、ご助言下さいますよう、お願い申し上げます。
<資料館本館 更新記録>
(09年8月28日更新)
SMグラビアの撮影現場 その2 「熱海旅館」続編 
をUPしました。
(09年8月28日更新)
SMグラビアの撮影現場 その1 「熱海旅館」 
をUPしました。
(09年7月28日更新)
SM雑誌「SMセレクト」その1をUPしました。
<資料館別館 更新記録>
小説SMセレクト グラビアリスト一覧 改訂・追加
(10月07日新規・改定)
1975年〜76年 リスト一覧
1977年〜78年 リスト一覧
1979年〜80年 リスト一覧
1981年〜82年 リスト一覧
1983年〜84年 リスト一覧
SMセレクト 1972年 グラビア画像
(9月17日新規UP)
<資料館別館 展示資料 一覧 09年9月21日現在>
***SMビデオ編***
資料館本館 掲載ビデオ 一覧
アートビデオ 一覧 その1 1982年〜89年
アートビデオ 一覧 その2 1990年〜92年
シネマジック 一覧 その1 1983年〜90年
インモラル女高生・インモラル天使 シリーズ 一覧
STUDIO418(スタジオ418) 一覧
***SM雑誌 グラビアリスト一覧 編***
S&Mコレクター・グラビアリスト その1 1972年〜77年(8月17日加筆)
S&Mコレクター・グラビアリスト その2 1978年〜85年(8月17日加筆)
SM奇譚(アブハンター)・グラビアリスト 1974年〜80年
SMセレクト・グラビアリスト その1 1970年〜84年
小説SMセレクト・グラビアリスト その1 1975年〜76年
小説SMセレクト・グラビアリスト その2 1977年〜78年
小説SMセレクト・グラビアリスト その3 1979年〜80年
小説SMセレクト・グラビアリスト その3 1981年〜82年
小説SMセレクト・グラビアリスト その3 1983年〜84年
***SM雑誌 グラビア画像一覧 編***
SMセレクト 1970〜71年 グラビア画像
SMセレクト 1972年 グラビア画像
(9月17日新規UP)
*** 資料館別館 特別展示場 ***
準備中
以後も可能な範囲で、リストアップを広げて行きたいと考えております。
なにかのご参考にお使いいただければ幸いです。
資料館別館入り口 → 各一覧 でお入りください。
空欄や間違いなどありましたら、ご教授いただけると幸いです。
<掲示板の新設>
(09年8月15日)
資料館 画像掲示板 
を開設しました。
上部 資料館掲示板入口 よりお入りください。
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最近の記事 *
* 著作権について *
このブログの画像は、筆者が所蔵している物のオリジナルスキャンやキャプチャー画像です。
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* 参考文献 *
(ホームページ・ブログ)
「B5版64ページの夢」「安田理央の恥ずかしいブログ」「映像の追憶」
「AWAWA地下室」「GPS通販」「SM探偵団」
(書籍)
「総天然色の夢」「さる業界の人々」「裏本時代」
「AV時代」「AV女優」「AV女優2」
「AV男優」「実録 縛りと責め」「緊縛の美・緊縛の悦楽」
「奇譚クラブ」の人々「性の仕事師たち」
「奇譚クラブとその周辺」
(詳細は「参考書籍のご案内」をご覧ください)
(雑誌)
奇譚クラブ、裏窓、SMセレクト、SMコレクター、SM奇譚
SMクラブ、SM秘小説、SMスナイパー、SMグラフティ 各誌
前回は、SMグラビアの撮影場所「その1」として、上野池之端の熱海旅館を取り上げた。
熱海旅館の項は一回で終了する予定であったが、記事掲載後に、熱海旅館に関する新たな情報、資料などを多数いただき、その紹介もかねて、続編を書くことにした。
多くの情報や資料を下さった方々に、この場をお借りして、お礼申し上げます。
また、提示いただいた画像などを、使用させていただくことを、ご了承ください。
その中でも一番の情報は、「M」さんと「A」さんからいただいた、熱海旅館の場所についての情報である。
その場所は、現在は駐車場になっており、記述してもご迷惑をおかけする事はないと判断して、掲載する事にした。

この地図は、前回と同じ、昭和30年代の上野の航空地図である。
赤い丸印のあたりが熱海旅館のあったとおもわれる場所。
すぐ下(南)に、上野動物園西園と不忍池がある。
当時の関係者の証言として、「旅館のすぐ東側に町工場」があったとのことである、現在のこの場所の地図で確認すると、確かに東側に「S科学」という本社兼工場が存在している。
また、「C」さんから、現在の当該地のスナップ写真をいただいた。
北側(門のあったところ辺り)から、南(不忍池方向)を向いて写したもので、正面突き当たりに、動物園の外柵のフェンス部分が、当時の形のままで残っている。
この柵までも、淫靡な撮影の場所として使用されたことに驚かされる。


熱海旅館では、濡木氏の緊美研の例会が幾度となく行なわれ、表の通りの様子などが、不二企画のDVD「濡木痴夢夫緊縛美外伝4」の中などに残っているとのことであるが、残念ながら未見である。
北側道路付近と思われるのスナップ写真がある。
正しいものであるかどうかわからないが、一応参考までに掲載させていただく。
この、SMグラビア撮影のメッカとも言うべき熱海旅館跡に、かなりの数の好事家が立ち寄っていたことが判明した。
一種の「聖地詣で」と言う事が出来るかもしれない。
なにか、ご利益はあったのであろうか(笑)
また、現存するうちに一度はいって見たかったという感想もあったことをご紹介しておこう。

門構えやアプローチの画像は前記事で紹介したが、門の内側は、数多くの画像が残されている。
わずかに、扉一枚の門の内側で、このような淫靡な撮影が行なわれていたとは、通行人は思いもしなかったであろう。


熱海旅館については、現実離れした逸話が沢山残されている。
すぐ東側に隣接する町工場があるが、二階などでの撮影では、雨戸や引き戸を開け放っての撮影も結構行われ、工場の工員がよく覗いていたという関係者の証言がある。
まだ、SMが市民権を得ていない時代のこと、若い女を裸にして縛ったり、吊るしたり・・・・さぞやびっくりした事であろう。
また、杉浦氏のブログには、次のような記述がある。
『ある冬の休憩時に雨戸を開け、庭を挟んだ階下の縁側を見た編集者が小声で皆を集め、指差す方を見ると、女主人の老婆が和服のお尻をめくりあげ、犬ばいになり、お尻を太陽に向けて、お尻の日光浴をしているではないか。日頃女の裸は見つけていても、覗き見となるとそれなりに心昂るものであるが、その時ばかりは見てはいけない妖怪をを見たような後悔をした。(杉浦氏のブログより、原文のまま引用)』
杉浦氏は、それを老婆の健康法の一種と思ったようである。
私の好きな作家、隆慶一郎の「かくれさと苦界行」のなかに、次のような文章がある。
『赤線の火が消えるまで、花街には古くからの、奇妙な風習があった・・・。
女は吉原大門に向かって着物の前をまくり上げ、秘所を露出し左手で恥毛を掻きあげた。次いで右手に持った杓子で四方を招くような格好をしながら、一廻りする。三度廻って、ようやく裾をおろした。
女の行っていたのは、お客寄せのお咒いで、この由来は遠く神話時代の天の鈿女にまでさかのぼる。(以上、要点のみ抜粋)』
女老主人は、お妾さんだったというから花柳界の出かもしれない。
そして、彼女がおこなっていたのは、旅館の繁盛を祷っての、古来の「おまじない」の真似事であったのかもしれない。
また別の逸話として、とっくに70を越えた老女中が50歳台の客に口説かれ、どうも同衾し、のちに男に騙されるような話も書かれている。
このような、住人からして妖しげな、古びて朽ち落ちそうな日本家屋で、これまた妖しげなSMグラビアの撮影が、十年ほども毎日のように続いていたと思うと、現実とは思えないような気さえしてくる。
脱線ついでに妄想を逞しくすると、、このような撮影の際には、従業員などは顔を出さないのが普通であろうが、この旅館の場合はどうであったのだろうか?
当初は遠慮して引き籠っていた老婆たちも、度重なる撮影利用に顔見知りになってくると、「あれま、おねえちゃん、裸で括られて、なんて格好だろうね・・・・」などと呟きながら撮影現場に顔を出すような事がなかったとはいえないような気さえしてくるのである。
もしそうなら、撮影現場は、老婆たちの回春剤になったであろうか。
『男は、枯れてしまったらただの枯れ木だが、女は、いくつになっても女である』という、誰かの言葉を思い出す。
昭和62年ごろ、「熱海旅館」が廃業するにあたり、濡木氏は小説セレクトの「モデルさまざま」に次のように書いている。
『いつも撮影に使っている上野公園裏の老朽木造旅館が、ついに閉鎖し廃業することになった。92歳になる老女主人と、70歳半ばになる老女中が、二人で細々と経営してきた旅館だったが、二人とも病気で入院してしまったのである。老女主人の方は、一年ほど前から入退院を繰り返していた。「あたしはイヤだよ。病院なんかきらいだよ。病気になったって入院しないよ。」といってがんばっていた老女中だったが、足腰が立たなくなってとうとうダウンしてしまった。古い建物はただちに取り壊され、あとはマンションにするそうである。私は撮影でこの旅館にざっと数えて700回以上は通っている。十数年前は女主人も女中も元気であったと、感慨無量のものがある。これほどSMの撮影に適したホンモノの寂寥ムードと、退廃の重みのある建物は、もう都心にはどこにもないであろう。』


熱海旅館で撮影されたSM系ビニ本、写真集
「淫蛾2(三井綾子)」
「恥虐(中村絵美)」
「淫舞(小池洋子)」
「陰臭(丹羽さゆり)」
「美少女コレクター2(吉田愛子)」
「縄紋無惨(真行寺薫)」
「裂傷(モデル名不明)」
「挿入(モデル名不明)」 など多数
SMビデオ
「少女陶酔」(宇宙企画)「緊美研ビデオ 数本」 など
一般映画
「奪われた心臓」
*** 熱海旅館の項 終了 ***

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テーマ:SM・緊縛 - ジャンル:アダルト
今回は少し趣向をかえて、SMグラビアの撮影場所について触れてみたい。
東京、上野不忍池の西北部に池之端という町がある。
上野池之端は、天正年間に不忍池の一部が埋め立てられて出来た町で、当初は池之端仲町、池之端七軒町などがあったが、昭和40年代に池之端仲町、茅町、上野恩賜公園の一部、池之端七軒町、上野花園町などが合併して、現在の上野・池之端ができた。
池之端近辺は、明治以降、昭和中期まで、横山大観の晩年の住居や旧安田財閥一族の屋敷などが立ち並ぶ、閑静な高級住宅街であった。
今回取り上げる「熱海旅館」は、その上野・池之端の一角にあった。
旅館は、通常濡木氏も杉浦氏、あるいは他の関係者の方々も、「熱海旅館」と言っているが、今回はじめて門の画像を見てみると、正確には「旅館熱海」が本当のようである。
ここでは、わかりやすいように、通称の「熱海旅館」で統一しようと思う。

昭和30年代の上野池之端航空地図 (右が上野動物園、下が不忍池)
熱海旅館がどこかに写っているのだろうか?
さて、「熱海旅館」は、知る人ぞ知る、1970年代後半(昭和50年代の中ごろ)から80年代中ごろ(昭和60年代前半)にかけて、頻繁にSMグラビアの撮影に使用され数々の名作を生み出した撮影現場である。
濡木痴夢男氏だけでも、700回以上撮影に立ち寄ったと述べているが、残念なことに、所有者の老齢化と建物の老朽化により、61〜62年ごろに取り壊されて、現存しない。
熱海旅館の外観は、個人の住宅にしては、立派な瓦屋根を有する門構えで、門の上の方に、木彫りの達筆な文字で「旅館熱海」という額がかかっていた。
門をくぐると、躑躅の植込みがある前庭。
石畳のアプローチがあり、わずかに左に折れ、さらに右に折れると玄関で、明治大正を思わせる、古びた重厚な日本家屋の造りであったという。

門とアプローチ 画像提供:コタケさん(長田英吉氏のビデオより)
玄関を入り、長い廊下を進んで二階に上がると、床の間つきの十畳の部屋と八畳の座敷が続き部屋であり、廊下をはさんで六畳の部屋があった。
(筆者注:これらの二階の部屋の広さは、杉浦氏のHPには『二十畳程と、十五畳程の二間つづきの縁側付きの室』と記載されており、どちらが本当だったか定かでない)
その二間続きの部屋は、庭に面して廊下が鍵型についており、一面は引き戸をあけると庭が一望できたが、もう一面は隣家に近接していて、外から見えてしまうので昼でも雨戸を閉め切って撮影することが多かったという。
これらの部屋は、ふすまや障子を外すと独立した柱があり、また欄間もしっかりしていて、吊りなど様々な緊縛に最適であったという。



一階部分は、座敷や縁側つきの和室が庭に面して配されており、持ち主や使用人たちの居住スペースでもあった。
一階部分や庭などは、原則撮影不可であったということだが、当時のグラビアなどを見てみると、門の内側、庭や一階の座敷、縁側などでの撮影画像が多数あり、なし崩しに、あるいはゲリラ的に全館で撮影が行われたようである。


この熱海旅館が、撮影現場として使われはじめたのは、昭和50年代の中ごろからであるが、初めて撮影場所として開拓したのが誰であったかは定かでない。
グリーン企画、アリス、サン出版、東京三世社など諸説あり、また一説によると、杉浦則夫氏が一年がかりで探し出したとも言われている。
「熱海旅館」は、元々は、ある大金持ちの妾宅であったらしい。
旦那の死後、年老いた女主人と老女中の二人で、旅館を始めたようである。
上野という場所から推測すると、俗にいう「連れ込み旅館」であったのかもしれない。
杉浦則夫氏は、熱海旅館について、自身のHPで次のように記している。
『初めてその旅館を訪ねた。戦前の佇まいで、いまにも朽ち果てそうな外観ではあるが、一年あまりも下町の旅館を探し歩いてみつけたロケイションであつた、接客に現れた70才くらいの小柄な老婆は少し知能が足りない言葉遣いで、客にのっけから「お兄ちゃんは何処から来た」と舌足らずな声で云う、どこかしら親しみの湧く可笑しさのある老婆であった。主人は80才程の背丈はすらりと高く、顔立ちも美人であるがひどい難聴の老婆で、この二人で経営する旅館であるから客のないのはもっともなことである。(中略)
使用料の安さ・・記憶では初回は四千円で、しばらくすると女中さんの気分で六千円になり、八千円になったりする。「おばちゃん、今日は高いよ」と、怒るとすぐに元の四千円に戻るのである。こんな女中さんとの会話の面白さと、なんといっても古びた旧家の佇まいは、緊縛写真を撮るには絶好の環境であった。
自然光で撮影をする事はほとんどなく、昼でも雨戸を閉め切り、ストロボ光で撮影したものであった。
当時は毎日のようにその旅館で撮影をしていた。(以上杉浦氏のHPより引用 一部省略・原文のまま)』
また、ある関係者は、当時の記憶を次のように語っている。
『一階の入り口には、古ぼけた土偶のような置物があり、達筆な文字で熱海旅館と書かれた木彫りの看板がかかっていた。入り口に素泊まり3500円という案内もあった。(中略)当時は、上野公園の動物園口という駅があって、そこから歩いて行った記憶がある。道路から1本 入った場所にあって、そこに不法駐車して機材搬入をしていた。経営者はたしかにおばさんだった記憶があるが、字がかけないという理由で白紙の領収書をもらえたりして重宝した・・・』
最近、偶然「文京区千駄木の旧安田楠雄邸」のことを知った。
そして、この安田邸が、非常に似たイメージの建物である事に気づいた。
こちらは現存しており、旧安田財閥の元邸宅であるから、建物の広さ、規模、豪華さなど比較する事は出来ないだろうが、各種HPに掲載された画像をみてきると、「熱海旅館」を連想させる部分が各所にあり、大変興味深く感じた。
多分想像だが、どちらも当時のお屋敷の標準的な建て方の一つで、熱海旅館は安田邸を小さくした作りであったのであろうか。


テーマ:SM - ジャンル:アダルト

「SMセレクト」創刊号 表紙

「SMセレクト」創刊号 目次
出版社 東京三世社
創刊号 1970年11月号
最終号 1990年 6月号?
サイズ 新書判 のちに A5サイズに変更(86年なかごろ)
今回は、ビデオの話題を少しはなれて、SM雑誌について触れてみたい。
筆者は、古いSMビデオと同様、70年代から80年代にかけての古いSM雑誌も収集していたが、その大部分は、すでに諸般の事情から廃棄され、わずかにスクラップとしてSMグラビアだけがスクラップとして手元に残っているだけとなった。
ネットを見渡してみても、SM雑誌について、詳しく触れたHPは意外に少ない。
従って、ビデオ同様、SM雑誌の資料を、可能な範囲で書き残したいと思うに至った。
第一回は、70年代から80年代にかけて、SM雑誌というジャンルを大衆化させ、確固たる地位を築くに至った、パイオニア的存在である「SMセレクト」について書いてみよう。
SMセレクトの創刊号は、1970年(昭和45年)11月。
東京三世社より「実話雑誌」11月増刊号として発売された。
当初は、隔月刊行の予定で翌年1月に第2号が発売された。
創刊号の売行き好調に気を良くした社長の鶴の一声で月刊誌に急遽変更、
2月号はなんとか発刊したが、準備不足のため3月号は休刊のやむなきに至る。
本当の意味での月刊誌としてのスタートは、体制を立て直して発売された4月号からという事になる。
サイズは新書判、東京三世社の他のアダルト雑誌と同サイズであった。
最初期のSMセレクト誌は、いままで奇譚クラブをはじめとする、従来のマニア誌が、当局への遠慮や取締り回避のため控えていたカラーグラビアを堂々と掲載し、口絵やイラストも当時としては大胆に取り入れている。
戦後、一部のマニアだけを対象に、細々と出版されていたSM雑誌であったが、セレクト誌の好調な売行きにより、SMは、アダルト雑誌の一ジャンルとしての市民権を獲得する。
我々のよく見慣れたSM雑誌としての体裁が、創刊当初からほぼ整っており、70年代から80年代のSM雑誌隆盛のさきがけとしての功績は極めて大きいものであったと思う。
創刊後しばらくは、同種のライバル誌がない事もあって、グラビアにおいては、後に東映からデビューする「池玲子」(71年6月号)や日活ロマンポルノの大黒柱となる「谷ナオミ」(71年7月)、「宮下順子」(71年8月号)などが紙面を飾る。
また、緊縛師に「美濃村晃」、口絵やイラストに「前田寿安」「椋陽児」、小説では「団鬼六」など、当時のそうそうたるメンバーが勢ぞろいしていた。

けれども、この業界に限らず、先発組は常に追われ、模倣されるのが世の常である。
SM雑誌も同様で、ライバル誌が次々に新規参入してくることとなる。
71年12月には、「SMファン」、翌年には「別冊SMファン」(司書房)、71年8月には、「SMキング」(鬼プロ)、72年10月には、「S&Mコレクター」(サン出版)が創刊、セレクト創刊からわずか2年たらずの間のことである。
これらの後発組のスタッフの多くが、皮肉な事にセレクトからの転進組みであった。
どの業界にもありがちだが、特にアダルト業界関係では、人の集合離散が激しい。
昨日まで共に働いていた同僚と、しのぎを削る事となる。
特にコレクターは、緊縛師に、あろうことか美濃村晃を登用。
当初はセレクトとかけもちだった美濃村は、徐々にセレクトから身を引いていく。
このとき現れたセレクトの救世主が、73年2月から登場した濡木痴夢男(=豊幹一郎、飯田豊一)である。
彼は、やがて写真家・杉浦則夫とコンビを組みゴールデンコンビと呼ばれた。
二人の作品は、他に例を見ない暗い情念と被虐美を表現し、セレクトはカラーグラビアの部門で一歩抜きんでた存在となる。
やがて東京三世社は、73年3月、姉妹紙「小説SMセレクト」を出版。
それに呼応するがごとく、サン出版は74年4月「アブハンター」を出版。
ほぼ同時期に、三和出版からも「SMフロンティア」が刊行される。
この頃から、雨後の筍の如く、類似のSM雑誌が次々に創刊され、乱立状態となる。
この現象は79年、ミリオン出版による「S&Mスナイパー」の誕生まで続くのである。
70年代の一時期は、書店のアダルトのコーナーには、SM雑誌が毎月二十冊近く並ぶという異常な時期もあったと記憶する。
それらのSM雑誌のうち、相当数が「裸の女に縄を巻けばそれでよかろう」「裸の女をいたぶればそれがSMだろう」的な安易な紙面づくりであった。
そして、それらは何時の間にか、自然淘汰されて市場から姿を消していったのである。
そんな熾烈な競争の中で、セレクトは着実な実績を重ね、75年には10万部を超えるほどに成長する。
けれども、70年代後半からは自販機本やビニ本、さらにはウラ本という極めて刺激の強いライバルが現れる。
さらには、80年代に入ると、アダルトビデオが世に出ることとなる。
今まで、静止していたモデルの緊縛画像が、動く! 声が聞こえる!
このインパクトはきわめて大きいものであった。
そして徐々にではあるが、SM雑誌は、衰退していく。
セレクトもその大きな流れに逆らう事は出来ず、1990年ごろに市場から姿を消す事になるのである。
そのトドメとなったSMビデオの隆盛は、皮肉な事に、アートビデオやシネマジック、宇宙企画など、SM雑誌からの転身スタッフたちによるものであった。
なお、SMセレクトのグラビア一覧は、「ご隠居さま」はじめ多くの方々のご協力を得て、資料館別館に順次掲載しております。この場をお借りして、改めてお礼申しあげます。
(この項は、創刊時からSMセレクトの編集に携わり、のちに編集長をつとめられた仙田弘氏の著書「総天然色の夢」(本の雑誌社・2000年初版)を参考にさせていただきました)テーマ:SM - ジャンル:アダルト
1980年代初頭に活躍した「中村絵美」は、残念ながらSMビデオには出演しなかったが、数多くのビニ本や、SM雑誌のグラビアに作品を残してくれた。
そんな中にあって、SMコレクター(サン出版)の1981年8月号に掲載された「真夜中の特訓」は、彼女のSMグラビアの代表作のひとつであると筆者は考える。
純白のテニスウエアでの緊縛姿は、テニスウエア・フェチにとっては、たまらない作品である。

最近、資料を整理していて、このコレクター誌が出てきたのだが、この中に、真夜中の特訓の「撮影同行記」が掲載されている事に気づいたので、掲載する事にする。
豊幹一郎氏(=濡木痴夢男)の撮影同行記は、濡木氏が後に触れている通り、『(読者に喜んでもらうため)あること無いこと、脚色して面白おかしく書いてある』ので、同行記そのものを、鵜呑みにするわけにはいかないが、脚色された文章であっても、モデルさんの個性や、写真家、緊縛師、雑誌スタッフの生の感情が散見されて、大変面白い読み物であった。
この同行記では、彼女は中里エリ子18才という名前で出演している。
この当時のモデルさんの大部分は、固有のモデル名を持たず、出演のたびに、編集者により適当な名前がふられていたことは、ご承知のとおりである。





「真夜中の特訓」について、少し触れておこう。
この作品は、前述の通り、81年8月号のコレクター誌に8ページの作品として掲載されたのが初出である。
この種のグラビアの常として、この作品も、何度か題名を変えたり、別シーンに入れ替えたりして、数度再掲載されている。
筆者の知る範囲では、少なくとも3回掲載されている。
1.「真夜中の特訓(8ページ)」 コレクター81年8月号
2.「避暑地の出来事(5ページ)」 SMフォト全集81年増刊号
3.「真夜中の特訓(6ページ)」 85年(?)SM耽美館増刊号
1と3は、全く同じポーズのネガが使用されている。
2は、角度が異なったり、ポーズが微妙に異なる構成となっている。
テーマ:SM - ジャンル:アダルト
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