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マンボウ資料館

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マンボウ資料館へご来館いただきまして、ありがとうございます。

SMビデオが初めて世に出て、30年が経過しました。
時代の変遷とともに、ビデオという映像媒体その物が既になくなりつつあり、DVDとして復刻再発売されなかったSMビデオは、歴史の流れの中に消え去ろうとしています。
創世記のSMビデオ作品には、現在の作品にはない、「被虐美」や「暗い情念」、そして何よりも、製作者のSMに対する愛情と情熱があったように思います。
ここではその創世記の古き良き時代のビデオの魅力とその生い立ちの背景を、アートビデオを中心に語ります。
筆者の勘違いや誤記入などありましたら、ご指摘、ご助言下さいますよう、お願い申し上げます。



<管理者への連絡>

(14年06月05日) ご意見等ございましたら、「資料館 掲示板」 をご利用下さい。


* 最近の記事 *


 ・06-24   フォトスナイパー掲載記事 その4「対談:SM誌の現在と未来」
 ・11-29   フォトスナイパー掲載記事 その3 「早川佳克(元スナイパー編集長)」
 ・11-26   フォトスナイパー掲載記事 その2 「千草忠夫」
 ・11-24   フォトスナイパー掲載記事 その1  「須磨利之」
 ・10-03   SMセレクト その3 「セレクト創刊号と須磨利之」
 ・09-21   SMセレクト その2 東京三世社の歴史
 ・11-24   シネマジック 「奴隷女教師アヌス狩り」 (広咲千絵)
 ・10-09   ~ SMグラビアの撮影場所「その2」 ~ 「熱海旅館」 続編
 ・08-28   ~ SMグラビアの撮影現場 その1 ~ 「熱海旅館」
 ・07-28   「SMセレクト」 その1
 ・03-05   SMビデオに登場しなかったモデルたち その2「中村絵美」補追編
 ・10-21   SMビデオに登場しなかったモデルたち その2 「中村絵美」Part3
 ・10-19   SMビデオに登場しなかったモデルたち その2 「中村絵美」Part2
 ・10-17   SMビデオに登場しなかったモデルたち その2 「中村絵美」Part1
 ・09-07   アートビデオ「セーラー服縄地獄」(作品番号1021)

* 著作権について *
このブログの画像は、筆者が所蔵している物のオリジナルスキャンやキャプチャー画像です。
ご提供いただいた画像等はその旨明記いたします。画像等の著作権は本来の製作者に属します。著作権をお持ちの方で、もし問題がありましたらお申し出ください。削除など、適切な対応をとらせていただきます。本ブログの文章および掲載画像等は、個人でお楽しみいただく範囲以外の、転用・転載などは固くお断りします。
* 参考文献 *
(ホームページ・ブログ)
 「B5版64ページの夢」「安田理央の恥ずかしいブログ」「映像の追憶」「SM探偵団」など
(書籍)
 「総天然色の夢」「さる業界の人々」「裏本時代」「AV時代」「AV女優」「AV女優2」
 「AV男優」「実録 縛りと責め」「緊縛の美・緊縛の悦楽」「奇譚クラブ」の人々 「性の仕事師たち」
 「奇譚クラブとその周辺」
(詳細は「参考書籍のご案内」をご覧ください)
(雑誌)
 奇譚クラブ、SMセレクト、SMコレクター、SM奇譚 SM秘小説、SMスナイパー、SMグラフティなど 各誌

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フォトスナイパー掲載記事 その4「対談:SM誌の現在と未来」

フォトスナーパー掲載記事第4弾は、1988年当時のSMに関わる各氏が一堂に揃っての対談記事である。

出席者は
中村一史(SMファン編集長)
新家隆典(SMシークレット編集長)
館淳一 (SM作家)
北条小夜子(SM女王)
司会:早川佳克(スナイパー編集長) という異色の組み合わせである。

各氏の略歴については、二枚目の画像を参照いただきたい。

内容は、彼らが関わったSM誌の歴史とそれぞれの雑誌の目指す方向性、さらには、SM小説と実践のギャップ、そして21世紀に向けてのSMの将来が語られている。
この対談で彼らの語った未来は、あたっている部分もあり、また、まったく別の方向に進んでしまった部分もあるように思える。
そして21世紀にはいって11年、彼らの関わったSM雑誌というジャンルは、すべて過去のものとなってしまった・・・・・。

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フォトスナイパー掲載記事 その3 「早川佳克(元スナイパー編集長)」

フォトスナイパー最終号に掲載された記事「その3」は、元S&Mスナイパー編集長の早川佳克氏のエッセイである。
早川氏の名前は、意外に知れ渡っていないが、スナイパー誌の「髭さん」あるいは「髭の編集長」といえば、知っている方が多いのではと思う。

彼は、「えろちか」などの編集者を経て、1974年からSMファンの編集にかかわり、別冊ファンの編集長。
1979年、S&Mスナイパーの発足に加わる。
1980年に、スナイパー初代編集長が創刊第3号で倒れたため、その後を引き継ぐこととなる。
したがって、初期のスナイパーの方向性、基礎は、早川氏の手になるものと言っても過言ではない。

文中では、緊縛師を確保できずに編集者がモデルを縛っていたこと、浮いた費用でメイクや衣装代などに力を注いだことなど、それまでのSM雑誌と一味違う雑誌作りの様子が書かれていて興味深い。

このエッセイが書かれたのは1988年であるが、徐々に衰退して消えていくSM雑誌の中にあって、最後まで
頑張っていた内の一つであるスナイパー誌は、2009年1月号(発行は08年11月)をもって、幕を降ろしたのである。

次回は、
「スナイパー元編集長・早川佳克氏」の司会で、
「SMファン編集長・中村一史氏」、
「SMシークレット編集長・新家隆典氏」、
「SM作家・館淳一氏」、
「SM女王・北条小夜子氏」
による対談の記事を掲載予定である。


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テーマ:SM - ジャンル:アダルト

フォトスナイパー掲載記事 その2 「千草忠夫」

フォトスナイパー最終号に掲載された記事「その2」、1970年代から80年代にかけて、SM小説で活躍した千草忠夫氏の文である。
千草氏は文中で「最近のSMフォトは、美しいがムードがない!」と言い切っている。
その詳細は、掲載画像に記載されていることなので、重複は避ける。

私の中にあるSMグラビアとは、暗く淫美な緊縛された女体美である。
80年代前半までは、縛られ折檻される女性に、その不合理さとともに、一片のそうなるべき納得する理由を感じる画像が多かった。
この千草氏の文章が掲載されたのは1988年であるが、この頃はちょうどSM雑誌の淘汰が始まった時期である。
その淘汰の原因は、SMビデオの普及が大きな原因ではあるが、SMグラビアそのものの変貌も無関係ではないと思う。
80年代後半のSMビデオで、アイドルと見間違うような可愛く美しいモデルが起用されていったように、SMグラビアでも同様の現象が顕著になっていく。
と同時に、SMという、日陰の隠匿すべき行為が、白日の下に出てきて、あたかもニューウエーブであるかのごとく、流行とは言わないまでも、市民権を獲得していく。
その一つの原動力となったのが、SMスナーパー誌の明るい雰囲気の美しい画像であったように思える。

しかし、そのようにして一般化した「誰にでも楽しめるSM」というものは、もはやかっての隠れてこそこそとやる、悪徳感を感じながらの、スリルあるSMとは、まったく別のものになってしまったような気がする。

やがて、90年代以降は、ますますその傾向が加速され、もはや社会の害毒的雰囲気は皆無となってしまったように思える。
いまやSMは、お茶の間のテレビの画面からでさえ、「Mだ、Sだ、」と言う言葉が流れてくるような、ある意味、軽薄なものに成り下がってしまったような気がするのは、私だけであろうか。

以前より気楽に、「SM愛好者」的なカミングアウトが可能な世の中は、住みやすいとも言えるが、一方で、背徳感をかみ締めながらの、秘め事的楽しみは、なくなってしまったように思える。


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テーマ:SM - ジャンル:アダルト

フォトスナイパー掲載記事 その1  「須磨利之」


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SMスナイパーという雑誌が廃刊されてから、記憶違い出でなければ、3年になろうとしている。

この雑誌は、SMセレクトやSMコレクターなどにくらべると、かなりの後発組であったが、先発組みの、いかにもマニア好みのSMとは、一味違った編集方針で一時代を画した。

まず、緊縛師がいない。
縛る人がいないといういにではなく、プロの緊縛師はほとんど起用せずに、見よう見まねで、編集者たちがモデルを縛ってグラビアを作成したという。
初期の頃には、いかにも素人っぽい縄使いも見られたが、いつのまにか気にならないほどに上手に緊縛できるようになってしまった。

また、スナイパーは、美人モデルを積極的に起用していることでも、際立っていた。
さらに、当時はまだ珍しかった「メイク」さんを積極的に導入したことも特記される。
同じモデルでも、他紙に登場したときより、はるかに美人に写っているグラビアが多かったように、私には思える。
SMスナイパーについては、また触れる機会もあると思うので、本題に入ろう。

SMスナイパーの姉妹誌に「フォトスナイパー」というグラビア雑誌があった。
この雑誌は、季節刊+最終号で計4冊だけの出版という短命雑誌であったが、その最終号(1988年4月号)に、戦後のSMの歴史の証人ともいえる「須磨利之」「千草忠夫」「美濃村晃」「髭」「元スナイパー編集長」などの随筆や対談記事が一括して掲載されている。
資料館掲示板で取り上げようかとも思ったが、長期に掲示するには、本館のほうが適当と考えて、こちらに順次UPしていきたいと思う。


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この記事の内容については、同様のことがあちこちに記載されているので、あらためて触れる内容はない。
ただ、ひとつだけ私見をのべさせていただければ、この須磨氏本人から語られた、幼少期の原体験や戦時中の体験のすべてが、事実なのだろうか?と、最近思うようになった。
須磨氏の本質、正体は、私見では「虚」ではないかと、私自身が年を取ったことにより、疑うようになったのである。
もちろん、なんの証拠もない。
そして、須磨氏自身が、インタビューの中で、「今度倒れたら助からないから、何でも聞いてくれ」という趣旨の発言をされている。
それを、素直に受け止めて、「須磨氏はこんな人生を送ったのだ」と信じてしまえばそれまでである。
しかし、事実として多少なりとも痕跡をだどれる戦後以降の須磨氏の生き様を見ても、どれが須磨氏の真実で、実像なのかが、私には見えなくなってしまった。
ましてや、本人の口から語られたこと以外には、なんの裏打ちもない話を、素直にうけとれない私はへそ曲がりなのかもしれない。
ほとんど、90%以上信じつつ、どこかで、須磨氏の底知れぬ深淵に、一抹の疑問符を持つのは、私だけであろうか?

テーマ:SM - ジャンル:アダルト

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