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<title>マンボウ資料館</title>
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<description>ＳＭビデオが初めて作られたのは１９８０年ごろです。 ここでは筆者が収集した８０年代の初期ＳＭビデオの歴史や魅力について、作品紹介や女優紹介を交えて語ります。</description>
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<title>シネマジック　「奴隷女教師アヌス狩り」　（広咲千絵）</title>
<description> 制作会社　：　シネマジック作品名　　 ：　「奴隷女教師アヌス狩り」作品番号　：　ＳＰ－１０制作年　　 ：　１９８４年女優　　　　：　広咲千絵（別名：佐々木絵里、野上恵子など）男優　　　　：　unknown緊縛　　　　：　unknown監督　　　　：　吉村彰一？収録時間　：　６０分作品今回は、久しぶりにシネマジックの作品を紹介しよう。題名は「奴隷女教師アヌス狩り」、８４年、シネマジック１０番目の作品である。主演の広
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<![CDATA[ <center><a href="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091125131857289.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091125131857289s.jpg" alt="アヌス狩りパケ" border="0" width="500" height="391" /></a></center><br /><br />制作会社　：　シネマジック<br />作品名　　 ：　「奴隷女教師アヌス狩り」<br />作品番号　：　ＳＰ－１０<br />制作年　　 ：　１９８４年<br />女優　　　　：　広咲千絵（別名：佐々木絵里、野上恵子など）<br />男優　　　　：　unknown<br />緊縛　　　　：　unknown<br />監督　　　　：　吉村彰一？<br />収録時間　：　６０分作品<br /><br /><br />今回は、久しぶりにシネマジックの作品を紹介しよう。<br />題名は「奴隷女教師アヌス狩り」、８４年、シネマジック１０番目の作品である。<br /><br />主演の広咲千絵は、８３年ごろから８４年ごろにかけて、ビデオやＳＭ雑誌のグラビアで活躍した人気モデルである。<br />彼女は、インタビュー記事によると、８３年ごろはＳＭビデオ中心に活動したようだが、自身のＳＭ感との相違から、ＳＭ雑誌のグラビアモデルに活動の場を移して、多くの名作画像を残した。<br />そして、ＳＭクラブ「千絵の部屋」のマダムとして活躍したという。<br /><br />この種のモデルは、よく真正Ｍであるなどという事を目にするが、その大部分は宣伝用のリップサービスで、ＳＭに何の興味もない、ノーマルな女性である場合が多い。<br />けれども、彼女の場合は、珍しく本物のＭ性を備えていたようで、特にハードな緊縛や吊りを好んだようである。<br />「堅いポーズがすき、吊られた緊張感もすてきだけど、下ろされた瞬間がまたいいのね」とインタビューで語っている。<br />グラビアをみると、吊り、ロウソク責め、二穴バイブ、浣腸責めなど、真似事でないホンモノで、当時としてはハードな画像が多く見られる。<br />また、グラビア画像の表情が大変素晴らしいということも特筆される。<br />当時のグラビアは、ともするとオーバーな表情が多く見られるのだが、彼女の苦悶の表情や、責めに陶酔して感極まったような表情は、作り物の表情とは思えないリアリティが感じられる。<br />それらの画像を見ていると、彼女のインタビューでの話しが真実であるように思えるのである。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009112421360803d.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009112421360803ds.jpg" alt="広咲グラビア１" border="0" width="500" height="241" /></a></center><br /><br />この「奴隷女教師アヌス狩り」という作品は、彼女自身のＳＭ感とは必ずしも一致しなかったビデオかもしれないが、広咲千絵という往時の女優の、「動く姿」と、「肉声が聞ける」という意味で大変貴重な作品という事が出来る。<br />また作品自体も、筆者には本人が言うほど駄作とは思えず、むしろ初期のシネマジック作品を代表する、大変よく出来た作品だと思う。<br /><br />男優は三人登場する。<br />責め役のメインの男は、スタジオ４１８の常連「おじじ」ではないかと思うが正規の芸名は知らない。<br />もう一人の責め役は、あの中野D児。<br />シネマジック第一作から、初期のほとんどの作品に登場する男優である。<br />三人目の教え子役も当時良く見た顔であるが、残念ながら筆者には名前がわからない。<br /><br />（あらすじ）<br /><br />女教師の広咲は、教え子と恋仲になり、連れ込み旅館（当時はそう言った）で愛欲に耽る。<br />教え子は、学生の身でありながら、なぜかヤミ金融に多額の借金をしている。<br />ヤミ金融の社長は、学生の恋人である女教師の体で、借金を棒引きする事を教え子に承知させる。<br />連れ込み旅館の一室に、女教師と教え子が二人でいるところに、取りたての二人が踏み込み、借用証をちらつかせながら女教師を脅す。<br />SM写真をちょっと撮るだけで、借金を棒引きしよう・・・・。<br />返事に窮する広咲を、D児は縛り始める。<br />「いや、いたい、やめてください！」<br />抵抗もむなしく、後ろ手、胸縄に縛り上げられてしまう。<br />体をまさぐられ、「もういや！やめて下さい。やめて！」と抵抗する広咲。<br />男たちは、叫び声が大きいとボールギャグを咬ませてしまう。<br />スカートを捲り上げられ、パンスト、パンティの上から、股間をまさぐられ、さらにバイブで責められる。<br />広咲の、くぐもった、泣き声とも喘ぎ声ともつかない声が大変なまめかしい。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009112421362425e.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009112421362425es.jpg" alt="アヌス狩りキャプ１" border="0" width="485" height="900" /></a></center><br /><br />うつ伏せにされて、アナルの指責めから、バイブによる二穴責めを受ける。<br />ここらの責めは擬似ではなく、本当に両方に挿入されており、当時としては迫力のある映像。<br />「いや！やめて下さい！」という声は、やがて、喘ぎ声へと変わっていく。<br /><br />さらに、剃毛からローソク責め、鞭打ちと続き、最後は浴室での浣腸責めとなる。<br />かなりの量を、ガラスシリンダーで何度も何度も注入され、アナルプラグで栓をされてしまう。<br />やがて、我慢は限界に達し、プラグを吹き飛ばすように、内容物が噴出する。<br />何度も何度も、繰り返し浣腸、排泄を繰り返し、最後は二人の男に輪姦されてしまう。<br />もはや、この時には、彼女は性欲の固まりとなり、自ら求めるように繋がって行くのであった。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091124213641fe6.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-38-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091124213641fe6s.jpg" alt="アヌス狩りキャプ２" border="0" width="483" height="900" /></a></center><br /><br />この記事を書くにあたり、改めて全編を見直してみると、上手なギリギリの角度からの映像で、感興をそぐボカシなどは一切なく、また初期のアートのように、まずいところは後ろ向き映像ばかりと言う事もない。<br />非常に緻密に計算された、良く出来た作品である事に気づいた次第である。<br /><br />筆者は、この作品を自宅近くのビデオ屋で２０年ほど前にレンタルし、三倍速でビデオにダビングしたものを、数年前にＤＶＤ－Ｒに焼きなおした。<br />三倍速なのであまり画像は良くないが、今となっては、なかなか新たに入手も困難であり、大切な宝物として保管している。<br />シネマジックは、８３～８５年ごろの古い作品も、一部ＤＶＤで再発しているが、残念ながら、この作品は、まだ再発されていないようである。<br />版権などの問題がなければ、ＤＶＤで、ぜひとも再発して欲しい作品の一つである。<br /><br />筆者は、最近のＳＭビデオ（ＤＶＤ）は、ほとんど見る気がしなかったというのが、正直な感想である。<br />それは、１９８０年代にあった、羞恥や戸惑い、諦め、そしてＳＭにたいする罪悪感のようなものが、最近の作品から、完全に欠落しているからではないかと考える。<br />そして、現在のような拷問とも思えるハードすぎる責めなどなくとも、古い作品には、大きな被虐感や見ていての満足感があった。<br /><br />ＳＭという一種の性行為？は、二十数年のあいだに市民権を獲得してしまって、もはや薄暗い裏通りの、暗い、隠れた嗜好ではなくなってしまった。<br />二十数年前には、ビデオ屋さんからレンタルするときも、カウンターの近くに誰もいなくなるのを見計らって、こっそりとレンタルしたものである。<br />しかし、今は、Ｔ屋のような全国チェーンの明るい健康的なお店に、堂々とＳＭのＤＶＤが並べられ、カウンター係も若い女性しかいない。<br />そして、彼女らはＳＭのＤＶＤを差し出されても、顔色一つ変えないで、平気で応対する世の中となった。<br />それは、本当に歓迎すべき事なのであろうかと、ふと思ってしまう今日この頃である。<br /><br />先日、本当に久しぶりに、最近の作品を数本レンタルしてみた。<br />最近の作品には、知識がないため、パケ写の印象だけを頼りのレンタルであった。<br />昔、やはりパケ写だけを頼りにレンタルしていた頃の事を、ふと思い出してしまう。<br /><br />あいかわらず、「電マでも使って、絶叫させておけばよかろう」的な、騒々しい作品がある一方で、クラシックなＳＭ仕立ての、静かで情緒ある作品が、少しづつ増えてきているように筆者には感じられたが、皆さんはいかがであろうか。<br />ある意味で、過激さがいく所までいってしまい、回帰現象が起こっているように、筆者には思える。<br />もしそうであれば、ＳＭ・ＤＶＤの将来に、わずかながら明るい兆しが見えてきたことを大変嬉しく思うとともに、この流れが続いてくれることを願わずにはいられない。<br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>シネマジック</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T21:35:07+09:00</dc:date>
<dc:creator>マンボウ</dc:creator>
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<title>～　ＳＭグラビアの撮影場所「その2」　～　「熱海旅館」　続編</title>
<description> 前回は、ＳＭグラビアの撮影場所「その１」として、上野池之端の熱海旅館を取り上げた。熱海旅館の項は一回で終了する予定であったが、記事掲載後に、熱海旅館に関する新たな情報、資料などを多数いただき、その紹介もかねて、続編を書くことにした。多くの情報や資料を下さった方々に、この場をお借りして、お礼申し上げます。また、提示いただいた画像などを、使用させていただくことを、ご了承ください。その中でも一番の情報は
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<![CDATA[ 前回は、ＳＭグラビアの撮影場所「その１」として、上野池之端の熱海旅館を取り上げた。<br />熱海旅館の項は一回で終了する予定であったが、記事掲載後に、熱海旅館に関する新たな情報、資料などを多数いただき、その紹介もかねて、続編を書くことにした。<br />多くの情報や資料を下さった方々に、この場をお借りして、お礼申し上げます。<br />また、提示いただいた画像などを、使用させていただくことを、ご了承ください。<br /><br />その中でも一番の情報は、「Ｍ」さんと「Ａ」さんからいただいた、熱海旅館の場所についての情報である。<br />その場所は、現在は駐車場になっており、記述してもご迷惑をおかけする事はないと判断して、掲載する事にした。<br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090829155831f7a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090829155831f7as.jpg" alt="上野池之端地図２" border="0" width="499" height="335" /></a><br /></center><br />この地図は、前回と同じ、昭和３０年代の上野の航空地図である。<br />赤い丸印のあたりが熱海旅館のあったとおもわれる場所。<br />すぐ下（南）に、上野動物園西園と不忍池がある。<br />当時の関係者の証言として、「旅館のすぐ東側に町工場」があったとのことである、現在のこの場所の地図で確認すると、確かに東側に「Ｓ科学」という本社兼工場が存在している。<br /><br />また、「Ｃ」さんから、現在の当該地のスナップ写真をいただいた。<br />北側（門のあったところ辺り）から、南（不忍池方向）を向いて写したもので、正面突き当たりに、動物園の外柵のフェンス部分が、当時の形のままで残っている。<br />この柵までも、淫靡な撮影の場所として使用されたことに驚かされる。<br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009100919512080b.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009100919512080bs.jpg" alt="002フェンス１" border="0" width="500" height="407" /></a><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200910091951350eb.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200910091951350ebs.jpg" alt="003フェンス２" border="0" width="500" height="288" /></a><br /></center><br />熱海旅館では、濡木氏の緊美研の例会が幾度となく行なわれ、表の通りの様子などが、不二企画のＤＶＤ「濡木痴夢夫緊縛美外伝４」の中などに残っているとのことであるが、残念ながら未見である。<br />北側道路付近と思われるのスナップ写真がある。<br />正しいものであるかどうかわからないが、一応参考までに掲載させていただく。<br /><br />この、ＳＭグラビア撮影のメッカとも言うべき熱海旅館跡に、かなりの数の好事家が立ち寄っていたことが判明した。<br />一種の「聖地詣で」と言う事が出来るかもしれない。<br />なにか、ご利益はあったのであろうか（笑）<br />また、現存するうちに一度はいって見たかったという感想もあったことをご紹介しておこう。<br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009195326dd3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009195326dd3s.jpg" alt="004表通り" border="0" width="500" height="453" /></a><br /></center><br /><br />門構えやアプローチの画像は前記事で紹介したが、門の内側は、数多くの画像が残されている。<br />わずかに、扉一枚の門の内側で、このような淫靡な撮影が行なわれていたとは、通行人は思いもしなかったであろう。<br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009200034e18.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009200034e18s.jpg" alt="005門内側１" border="0" width="500" height="365" /></a><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009200048d3e.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20091009200048d3es.jpg" alt="007門内側3" border="0" width="500" height="359" /></a><br /></center><br /><br />熱海旅館については、現実離れした逸話が沢山残されている。<br /><br />すぐ東側に隣接する町工場があるが、二階などでの撮影では、雨戸や引き戸を開け放っての撮影も結構行われ、工場の工員がよく覗いていたという関係者の証言がある。<br />まだ、ＳＭが市民権を得ていない時代のこと、若い女を裸にして縛ったり、吊るしたり・・・・さぞやびっくりした事であろう。<br /><br />また、杉浦氏のブログには、次のような記述がある。<br />『ある冬の休憩時に雨戸を開け、庭を挟んだ階下の縁側を見た編集者が小声で皆を集め、指差す方を見ると、女主人の老婆が和服のお尻をめくりあげ、犬ばいになり、お尻を太陽に向けて、お尻の日光浴をしているではないか。日頃女の裸は見つけていても、覗き見となるとそれなりに心昂るものであるが、その時ばかりは見てはいけない妖怪をを見たような後悔をした。（杉浦氏のブログより、原文のまま引用）』<br />杉浦氏は、それを老婆の健康法の一種と思ったようである。<br /><br />私の好きな作家、隆慶一郎の「かくれさと苦界行」のなかに、次のような文章がある。<br />『赤線の火が消えるまで、花街には古くからの、奇妙な風習があった・・・。<br />女は吉原大門に向かって着物の前をまくり上げ、秘所を露出し左手で恥毛を掻きあげた。次いで右手に持った杓子で四方を招くような格好をしながら、一廻りする。三度廻って、ようやく裾をおろした。<br />女の行っていたのは、お客寄せのお咒いで、この由来は遠く神話時代の天の鈿女にまでさかのぼる。（以上、要点のみ抜粋）』<br />女老主人は、お妾さんだったというから花柳界の出かもしれない。<br />そして、彼女がおこなっていたのは、旅館の繁盛を祷っての、古来の「おまじない」の真似事であったのかもしれない。<br /><br />また別の逸話として、とっくに７０を越えた老女中が５０歳台の客に口説かれ、どうも同衾し、のちに男に騙されるような話も書かれている。<br /><br />このような、住人からして妖しげな、古びて朽ち落ちそうな日本家屋で、これまた妖しげなＳＭグラビアの撮影が、十年ほども毎日のように続いていたと思うと、現実とは思えないような気さえしてくる。<br /><br />脱線ついでに妄想を逞しくすると、、このような撮影の際には、従業員などは顔を出さないのが普通であろうが、この旅館の場合はどうであったのだろうか？<br />当初は遠慮して引き籠っていた老婆たちも、度重なる撮影利用に顔見知りになってくると、「あれま、おねえちゃん、裸で括られて、なんて格好だろうね・・・・」などと呟きながら撮影現場に顔を出すような事がなかったとはいえないような気さえしてくるのである。<br />もしそうなら、撮影現場は、老婆たちの回春剤になったであろうか。<br />『男は、枯れてしまったらただの枯れ木だが、女は、いくつになっても女である』という、誰かの言葉を思い出す。<br /><br />昭和６２年ごろ、「熱海旅館」が廃業するにあたり、濡木氏は小説セレクトの「モデルさまざま」に次のように書いている。<br />『いつも撮影に使っている上野公園裏の老朽木造旅館が、ついに閉鎖し廃業することになった。９２歳になる老女主人と、７０歳半ばになる老女中が、二人で細々と経営してきた旅館だったが、二人とも病気で入院してしまったのである。老女主人の方は、一年ほど前から入退院を繰り返していた。「あたしはイヤだよ。病院なんかきらいだよ。病気になったって入院しないよ。」といってがんばっていた老女中だったが、足腰が立たなくなってとうとうダウンしてしまった。古い建物はただちに取り壊され、あとはマンションにするそうである。私は撮影でこの旅館にざっと数えて７００回以上は通っている。十数年前は女主人も女中も元気であったと、感慨無量のものがある。これほどＳＭの撮影に適したホンモノの寂寥ムードと、退廃の重みのある建物は、もう都心にはどこにもないであろう。』<br /><br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/010bini01.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/010bini01s.jpg" alt="010bini01.jpg" border="0" width="500" height="177" /></a><br /><a href="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/010bini02.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/010bini02s.jpg" alt="010bini02.jpg" border="0" width="500" height="175" /></a><br /></center><br /><br />熱海旅館で撮影されたＳＭ系ビニ本、写真集<br /><br />「淫蛾２（三井綾子）」<br />「恥虐（中村絵美）」<br />「淫舞（小池洋子）」<br />「陰臭（丹羽さゆり）」<br />「美少女コレクター２（吉田愛子）」<br />「縄紋無惨（真行寺薫）」<br />「裂傷（モデル名不明）」<br />「挿入（モデル名不明）」　など多数<br /><br />ＳＭビデオ<br /><br /><a href="http://manbou0318.blog91.fc2.com/blog-entry-29.html" target="_blank" title="「少女陶酔」（宇宙企画）">「少女陶酔」（宇宙企画）</a><br />「緊美研ビデオ　数本」　など<br /><br />一般映画<br /><br />「奪われた心臓」<br /><br /><center>＊＊＊　熱海旅館の項　　終了　＊＊＊</center><br /> ]]>
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<dc:subject>ＳＭ雑誌</dc:subject>
<dc:date>2009-10-09T20:55:08+09:00</dc:date>
<dc:creator>マンボウ</dc:creator>
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<title>～　ＳＭグラビアの撮影現場　その１　～　「熱海旅館」</title>
<description> 今回は少し趣向をかえて、ＳＭグラビアの撮影場所について触れてみたい。東京、上野不忍池の西北部に池之端という町がある。上野池之端は、天正年間に不忍池の一部が埋め立てられて出来た町で、当初は池之端仲町、池之端七軒町などがあったが、昭和４０年代に池之端仲町、茅町、上野恩賜公園の一部、池之端七軒町、上野花園町などが合併して、現在の上野・池之端ができた。池之端近辺は、明治以降、昭和中期まで、横山大観の晩年の
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<![CDATA[ 今回は少し趣向をかえて、ＳＭグラビアの撮影場所について触れてみたい。<br /><br />東京、上野不忍池の西北部に池之端という町がある。<br />上野池之端は、天正年間に不忍池の一部が埋め立てられて出来た町で、当初は池之端仲町、池之端七軒町などがあったが、昭和４０年代に池之端仲町、茅町、上野恩賜公園の一部、池之端七軒町、上野花園町などが合併して、現在の上野・池之端ができた。<br />池之端近辺は、明治以降、昭和中期まで、横山大観の晩年の住居や旧安田財閥一族の屋敷などが立ち並ぶ、閑静な高級住宅街であった。<br />今回取り上げる「熱海旅館」は、その上野・池之端の一角にあった。<br /><br />旅館は、通常濡木氏も杉浦氏、あるいは他の関係者の方々も、「熱海旅館」と言っているが、今回はじめて門の画像を見てみると、正確には「旅館熱海」が本当のようである。<br />ここでは、わかりやすいように、通称の「熱海旅館」で統一しようと思う。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908272133053a8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908272133053a8s.jpg" alt="上野地図" border="0" width="500" height="336" /></a></center>　　　　　　　　　昭和３０年代の上野池之端航空地図　（右が上野動物園、下が不忍池）<br />　　　　　　　　　熱海旅館がどこかに写っているのだろうか？<br /><br /><br />さて、「熱海旅館」は、知る人ぞ知る、１９７０年代後半（昭和５０年代の中ごろ）から８０年代中ごろ（昭和６０年代前半）にかけて、頻繁にＳＭグラビアの撮影に使用され数々の名作を生み出した撮影現場である。<br />濡木痴夢男氏だけでも、７００回以上撮影に立ち寄ったと述べているが、残念なことに、所有者の老齢化と建物の老朽化により、６１～６２年ごろに取り壊されて、現存しない。<br /><br />熱海旅館の外観は、個人の住宅にしては、立派な瓦屋根を有する門構えで、門の上の方に、木彫りの達筆な文字で「旅館熱海」という額がかかっていた。<br />門をくぐると、躑躅の植込みがある前庭。<br />石畳のアプローチがあり、わずかに左に折れ、さらに右に折れると玄関で、明治大正を思わせる、古びた重厚な日本家屋の造りであったという。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908272205227ab.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908272205227abs.jpg" alt="熱海旅館　門" border="0" width="388" height="900" /></a></center>　　　　　　　　　　　　　門とアプローチ　画像提供：コタケさん（長田英吉氏のビデオより）<br /><br />玄関を入り、長い廊下を進んで二階に上がると、床の間つきの十畳の部屋と八畳の座敷が続き部屋であり、廊下をはさんで六畳の部屋があった。<br />（筆者注：これらの二階の部屋の広さは、杉浦氏のＨＰには『二十畳程と、十五畳程の二間つづきの縁側付きの室』と記載されており、どちらが本当だったか定かでない）<br />その二間続きの部屋は、庭に面して廊下が鍵型についており、一面は引き戸をあけると庭が一望できたが、もう一面は隣家に近接していて、外から見えてしまうので昼でも雨戸を閉め切って撮影することが多かったという。<br />これらの部屋は、ふすまや障子を外すと独立した柱があり、また欄間もしっかりしていて、吊りなど様々な緊縛に最適であったという。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828180335eb7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828180335eb7s.jpg" alt="熱海旅館　全景１" border="0" width="500" height="354" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282152195d2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282152195d2s.jpg" alt="熱海旅館２階1" border="0" width="499" height="340" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282152406a5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282152406a5s.jpg" alt="熱海旅館２階2" border="0" width="500" height="375" /></a></center><br />一階部分は、座敷や縁側つきの和室が庭に面して配されており、持ち主や使用人たちの居住スペースでもあった。<br />一階部分や庭などは、原則撮影不可であったということだが、当時のグラビアなどを見てみると、門の内側、庭や一階の座敷、縁側などでの撮影画像が多数あり、なし崩しに、あるいはゲリラ的に全館で撮影が行われたようである。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282221139a6.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/200908282221139a6s.jpg" alt="熱海旅館１Ｆ" border="0" width="499" height="243" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828222138428.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828222138428s.jpg" alt="熱海　庭" border="0" width="500" height="362" /></a><br /><br />この熱海旅館が、撮影現場として使われはじめたのは、昭和５０年代の中ごろからであるが、初めて撮影場所として開拓したのが誰であったかは定かでない。<br />グリーン企画、アリス、サン出版、東京三世社など諸説あり、また一説によると、杉浦則夫氏が一年がかりで探し出したとも言われている。<br /><br />「熱海旅館」は、元々は、ある大金持ちの妾宅であったらしい。<br />旦那の死後、年老いた女主人と老女中の二人で、旅館を始めたようである。<br />上野という場所から推測すると、俗にいう「連れ込み旅館」であったのかもしれない。<br /><br />杉浦則夫氏は、熱海旅館について、自身のＨＰで次のように記している。<br />『初めてその旅館を訪ねた。戦前の佇まいで、いまにも朽ち果てそうな外観ではあるが、一年あまりも下町の旅館を探し歩いてみつけたロケイションであつた、接客に現れた70才くらいの小柄な老婆は少し知能が足りない言葉遣いで、客にのっけから「お兄ちゃんは何処から来た」と舌足らずな声で云う、どこかしら親しみの湧く可笑しさのある老婆であった。主人は80才程の背丈はすらりと高く、顔立ちも美人であるがひどい難聴の老婆で、この二人で経営する旅館であるから客のないのはもっともなことである。（中略）<br />使用料の安さ・・記憶では初回は四千円で、しばらくすると女中さんの気分で六千円になり、八千円になったりする。「おばちゃん、今日は高いよ」と、怒るとすぐに元の四千円に戻るのである。こんな女中さんとの会話の面白さと、なんといっても古びた旧家の佇まいは、緊縛写真を撮るには絶好の環境であった。<br />自然光で撮影をする事はほとんどなく、昼でも雨戸を閉め切り、ストロボ光で撮影したものであった。 <br />当時は毎日のようにその旅館で撮影をしていた。（以上杉浦氏のＨＰより引用　一部省略･原文のまま）』<br /><br />また、ある関係者は、当時の記憶を次のように語っている。<br />『一階の入り口には、古ぼけた土偶のような置物があり、達筆な文字で熱海旅館と書かれた木彫りの看板がかかっていた。入り口に素泊まり３５００円という案内もあった。（中略）当時は、上野公園の動物園口という駅があって、そこから歩いて行った記憶がある。道路から１本　入った場所にあって、そこに不法駐車して機材搬入をしていた。経営者はたしかにおばさんだった記憶があるが、字がかけないという理由で白紙の領収書をもらえたりして重宝した・・・』<br /><br />最近、偶然「文京区千駄木の旧安田楠雄邸」のことを知った。<br />そして、この安田邸が、非常に似たイメージの建物である事に気づいた。<br />こちらは現存しており、旧安田財閥の元邸宅であるから、建物の広さ、規模、豪華さなど比較する事は出来ないだろうが、各種ＨＰに掲載された画像をみてきると、「熱海旅館」を連想させる部分が各所にあり、大変興味深く感じた。<br />多分想像だが、どちらも当時のお屋敷の標準的な建て方の一つで、熱海旅館は安田邸を小さくした作りであったのであろうか。<br /><br /><center><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009082823175375f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/2009082823175375fs.jpg" alt="安田邸" border="0" width="500" height="347" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828224703f04.gif" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090828224703f04s.gif" alt="安田邸平面図" border="0" width="500" height="338" /></a></center><br /><br /> ]]>
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<dc:creator>マンボウ</dc:creator>
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<title>「ＳＭセレクト」　その１</title>
<description> 「ＳＭセレクト」創刊号　表紙「ＳＭセレクト」創刊号　目次出版社　東京三世社創刊号　１９７０年１１月号最終号　１９９０年　６月号？サイズ　新書判　のちに　Ａ５サイズに変更（８６年なかごろ）今回は、ビデオの話題を少しはなれて、ＳＭ雑誌について触れてみたい。筆者は、古いＳＭビデオと同様、70年代から80年代にかけての古いＳＭ雑誌も収集していたが、その大部分は、すでに諸般の事情から廃棄され、わずかにスクラップ
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<![CDATA[ <center><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/select7011hyoushi.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/select7011hyoushi.jpg" alt="セレクト創刊号　表紙" border="0" width="450" height="600" /></a><br />「ＳＭセレクト」創刊号　表紙<br /><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/select7011mokuji.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/select7011mokujis.jpg" alt="セレクト創刊号　目次" border="0" width="500" height="375" /></a><br />「ＳＭセレクト」創刊号　目次<br /></center><br /><br /><br />出版社　東京三世社<br />創刊号　１９７０年１１月号<br />最終号　１９９０年　６月号？<br />サイズ　新書判　のちに　Ａ５サイズに変更（８６年なかごろ）<br /><br /><br />今回は、ビデオの話題を少しはなれて、ＳＭ雑誌について触れてみたい。<br />筆者は、古いＳＭビデオと同様、70年代から80年代にかけての古いＳＭ雑誌も収集していたが、その大部分は、すでに諸般の事情から廃棄され、わずかにスクラップとしてＳＭグラビアだけがスクラップとして手元に残っているだけとなった。<br />ネットを見渡してみても、ＳＭ雑誌について、詳しく触れたＨＰは意外に少ない。<br />従って、ビデオ同様、ＳＭ雑誌の資料を、可能な範囲で書き残したいと思うに至った。<br /><br />第一回は、70年代から80年代にかけて、ＳＭ雑誌というジャンルを大衆化させ、確固たる地位を築くに至った、パイオニア的存在である「ＳＭセレクト」について書いてみよう。<br /><br />ＳＭセレクトの創刊号は、１９７０年（昭和４５年）１１月。<br />東京三世社より「実話雑誌」１１月増刊号として発売された。　<br />当初は、隔月刊行の予定で翌年１月に第２号が発売された。<br />創刊号の売行き好調に気を良くした社長の鶴の一声で月刊誌に急遽変更、<br />２月号はなんとか発刊したが、準備不足のため３月号は休刊のやむなきに至る。<br />本当の意味での月刊誌としてのスタートは、体制を立て直して発売された４月号からという事になる。<br />サイズは新書判、東京三世社の他のアダルト雑誌と同サイズであった。<br /><br />最初期のＳＭセレクト誌は、いままで奇譚クラブをはじめとする、従来のマニア誌が、当局への遠慮や取締り回避のため控えていたカラーグラビアを堂々と掲載し、口絵やイラストも当時としては大胆に取り入れている。<br />戦後、一部のマニアだけを対象に、細々と出版されていたSM雑誌であったが、セレクト誌の好調な売行きにより、ＳＭは、アダルト雑誌の一ジャンルとしての市民権を獲得する。<br />我々のよく見慣れたＳＭ雑誌としての体裁が、創刊当初からほぼ整っており、７０年代から８０年代のＳＭ雑誌隆盛のさきがけとしての功績は極めて大きいものであったと思う。<br /><br />創刊後しばらくは、同種のライバル誌がない事もあって、グラビアにおいては、後に東映からデビューする「池玲子」（７１年６月号）や日活ロマンポルノの大黒柱となる「谷ナオミ」（７１年７月）、「宮下順子」（７１年８月号）などが紙面を飾る。<br />また、緊縛師に「美濃村晃」、口絵やイラストに「前田寿安」「椋陽児」、小説では「団鬼六」など、当時のそうそうたるメンバーが勢ぞろいしていた。<br /><center><br /><a href="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090728015213fff.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40-origin.fc2.com/m/a/n/manbou0318/20090728015213fffs.jpg" alt="池　谷　宮下" border="0" width="500" height="214" /></a><br /></center><br /><br />けれども、この業界に限らず、先発組は常に追われ、模倣されるのが世の常である。<br />ＳＭ雑誌も同様で、ライバル誌が次々に新規参入してくることとなる。<br />７１年１２月には、「ＳＭファン」、翌年には「別冊ＳＭファン」（司書房）、７１年８月には、「ＳＭキング」（鬼プロ）、７２年１０月には、「Ｓ＆Ｍコレクター」（サン出版）が創刊、セレクト創刊からわずか２年たらずの間のことである。<br />これらの後発組のスタッフの多くが、皮肉な事にセレクトからの転進組みであった。<br />どの業界にもありがちだが、特にアダルト業界関係では、人の集合離散が激しい。<br />昨日まで共に働いていた同僚と、しのぎを削る事となる。<br /><br />特にコレクターは、緊縛師に、あろうことか美濃村晃を登用。<br />当初はセレクトとかけもちだった美濃村は、徐々にセレクトから身を引いていく。<br />このとき現れたセレクトの救世主が、７３年２月から登場した濡木痴夢男（＝豊幹一郎、飯田豊一）である。<br />彼は、やがて写真家・杉浦則夫とコンビを組みゴールデンコンビと呼ばれた。<br />二人の作品は、他に例を見ない暗い情念と被虐美を表現し、セレクトはカラーグラビアの部門で一歩抜きんでた存在となる。<br /><br />やがて東京三世社は、７３年３月、姉妹紙「小説ＳＭセレクト」を出版。<br />それに呼応するがごとく、サン出版は７４年４月「アブハンター」を出版。<br />ほぼ同時期に、三和出版からも「ＳＭフロンティア」が刊行される。<br />この頃から、雨後の筍の如く、類似のＳＭ雑誌が次々に創刊され、乱立状態となる。<br />この現象は７９年、ミリオン出版による「Ｓ＆Ｍスナイパー」の誕生まで続くのである。<br /><br />７０年代の一時期は、書店のアダルトのコーナーには、ＳＭ雑誌が毎月二十冊近く並ぶという異常な時期もあったと記憶する。<br />それらのＳＭ雑誌のうち、相当数が「裸の女に縄を巻けばそれでよかろう」「裸の女をいたぶればそれがＳＭだろう」的な安易な紙面づくりであった。<br />そして、それらは何時の間にか、自然淘汰されて市場から姿を消していったのである。<br />そんな熾烈な競争の中で、セレクトは着実な実績を重ね、７５年には１０万部を超えるほどに成長する。<br /><br />けれども、７０年代後半からは自販機本やビニ本、さらにはウラ本という極めて刺激の強いライバルが現れる。<br />さらには、８０年代に入ると、アダルトビデオが世に出ることとなる。<br />今まで、静止していたモデルの緊縛画像が、動く！　声が聞こえる！<br />このインパクトはきわめて大きいものであった。<br /><br />そして徐々にではあるが、ＳＭ雑誌は、衰退していく。<br />セレクトもその大きな流れに逆らう事は出来ず、１９９０年ごろに市場から姿を消す事になるのである。<br />そのトドメとなったＳＭビデオの隆盛は、皮肉な事に、アートビデオやシネマジック、宇宙企画など、ＳＭ雑誌からの転身スタッフたちによるものであった。<br /><br /><br />なお、ＳＭセレクトのグラビア一覧は、「ご隠居さま」はじめ多くの方々のご協力を得て、資料館別館に順次掲載しております。この場をお借りして、改めてお礼申しあげます。<br /><br /><span style="color:#3366ff">（この項は、創刊時からＳＭセレクトの編集に携わり、のちに編集長をつとめられた仙田弘氏の著書「総天然色の夢」（本の雑誌社・2000年初版）を参考にさせていただきました）</span><br /><br /> ]]>
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