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別 名 : 中山孝子
中村里美
山中めぐみ
くみ子
小林ひろみ
北原鮎子
井上佐知子
林美智子
ほか多数
活動時期 : 1980年~83年(推定)
活動分野 : SMグラビア、ビニ本
出演ビデオ: なし
ビニ本 : 「少女縛り絵図」(グリーン企画)
「少女の感触」(アリス出版)
「美少女・くみ子」(サン出版)
「黄昏人形」(出版社不詳)
「初啼き」(隆正堂)
「姫始め」(アリス出版)
「SISTER」(GAL PRESS=KUKI)
「濡れはじめ」(目黒川書房)
「あつい口唇」(Do企画)
「花芯に唇」(ひかり書房)
「Baby Face」(LANDA・S・S) ほか
グラビア : <東京三世社系(セレクト)>
「プリマ受難曲」 「螺旋階段」 「思春期」 ほか
<サン出版(コレクター)>
「凌辱の17才」 「処女縄」 ほか
<日本出版社(SMクラブ)>
「18才の春に…」 「美少女淫姦白書」 「十八才の体験」 ほか
そのほか、SMフェニックス、SMスナイパーなどに登場
※杉浦氏HP「林美智子」
(セレクトのプリマ受難曲などの原ネガ)
その他 : 「MY ROOM OH MY DREAM」(KUKI)
(※カセットとソノシート付)
寺山久美は、昭和55年から昭和57年(1980年から82年)にかけて、ビニ本やSMグラビアで活躍したモデルである。
川本浩次氏のHPによると、彼女のデビューはビニ本(自販機本)で、Do企画が手がけた。
当時、モデルに専属という考えはなかったが、最初に表紙に起用したのがDo企画(=LANDA)であったため、アリス出版など後発組が、寺山を表紙に使いづらかったという面白い逸話が残っている。




寺山久美は、小川恵子、篠塚ひろみとともにビニ本三大美少女と呼ばれて、当時絶大な人気を博していた。
この三人は、ほとんど同時期にデビューし、同じ頃に消えて行ったこと、セーラー服画像が多かったこと。
実年齢は皆、20歳を大きく超えていたらしいが、10代といわれてもおかしくない姿態、しかも幼な顔など共通点が多い。
また、この三人は、筆者が知る限りでは、ビデオ作品がないこと、裏本への出演がないことなども共通している。
寺山久美が、他の二人と明らかに異なる事が一つある。
それは、SMグラビアに、かなりの数、出演していることである。
またビニ本でも、「少女縛り絵図」(グリーン企画)というSM本に出演している。
当時、SMについては、まだ世間に認知されておらず、アダルト・モデルでも、SMは避けて通る風潮があった。
筆者が知る限りでは、篠塚ひろみは、ビニ本「処女葬列」で一度だけ「縛りの真似事」があるだけ、小川恵子は、スナイパー56年1月号「寮花を剥け」(里中みつ)があるだけである。
そんな中にあって寺山は、SMグラビアにも、かなりの数出演している。
これは、当時の美少女系モデルとしては、中村絵美とともに、特異な存在であった。


また寺山久美には、いくつかの伝説が残っている。
ビニ本モデルでは大変珍しいことで、それだけ人気があったと言う事の証明なのかもしれない。
曰く、寺山修司の「天井桟敷」の一員である(あった)。
曰く、劇団の収入を補うために、みずから進んで、モデルになっていた。
曰く、撮影現場で絶対に身体を触らず、「どんなポーズでもしますから、言葉で説明してください」と言っていた。
実際のところは、当時の劇団には、多くの若者たちが、常に出たり入ったりしており、彼女がその中の一人であったとしてもおかしくない。
また、1977年から79年にかけて、寺山修司が監督した映画に少なくとも3本、出演している可能性がある。
探偵団の西村さんも触れておられるが、「書見機」「二頭女」「草迷宮」という作品のキャストに、「中山孝子」という名前が見られる。
「中山孝子」は、寺山久美が、グラビアで使用した別名である。
彼女のビニ本デビューが80年で、見かけより年であった、ということとも辻褄が合う。
天井桟敷に限らず、この種の劇団は、殆どが本業だけでは食っていけない。
従って、当時爆発的な広がりを見せていた、ビニ本業界などに、団員たちが生活の糧を求めたとしても不思議ではない。
1980年ごろ、大卒初任給が12万程度の時代に、彼女の一日のモデル料が3万5千円であったという。
濡木氏の回顧録に、当時、「新宿のおっちゃん」が斡旋していた半素人のモデルが、一日1万円であったと書かれており、それから比較すると、さすが売れっ子と言うべきか、それとも「安い」と言うべきなのであろうか。
余談であるが、一時期、この「おっちゃん」の手伝いをしていたのが、あの峰一也氏であるらしい。
寺山についての印象を、当時アリスのカメラマンであった川本氏は、次のように述べている。
『彼女は天井桟敷という劇団出身で、寺山久美という芸名を付けたのは高取英という寺山修司の弟子だ。もっとも天井桟敷にはやたら大勢の家出少年・少女とかが出入りしていたが。初期のアリス出版でデザイン関係やっていた人とか、KUKIを作った人とかも天井桟敷出身・・・(中略)・・・寺山久美はその美貌とともに、ちょっと変わった娘として有名だった。モデルとしてのプロ意識はしっかり持っていたが、どこか猥雑な業界からは浮いた存在だった。口数は少なく、隅っこでひとり文庫本を読んでいるような、そんな娘だった。なんといっても名門劇団、天井桟敷の出身だ。エロ本屋たちにとっては、やはり高尚なお嬢さまには違いなかった。』
(以上『 』部分は、川本氏のHPより原文のまま引用させていただきました。)



話を本筋に戻そう。
グラビアの「プリマ受難曲」と、その関連のシリーズは、杉浦則夫氏撮影によるものである。
この関連画像は、杉浦氏の「追憶の緊縛写真史」に「林美智子」として掲載されているが、撮影日時が昭和59年(1984年)3月となっているのは、なにかの勘違いによるものであろうか?
杉浦氏の資料には、たまに撮影年月やモデル名のとり違いがあるようで、全面的な信頼がおけないのは残念である。
80年代初頭の杉浦氏の緊縛フォトに出演したモデルの多くが、アートビデオなどのSMビデオに出演していることは、別項で述べた。
寺山久美は、ビデオ出演を誘われなかったのであろうか?
また、アダルト映画への出演勧誘があったという話もあるが、実現しなかった。
いずれにしても、残念ながら、現在まで寺山久美の出演したアダルトビデオやアダルト映画は確認されていない。
以前、SM探偵団に、とほほさんが発見した「花嫁人形」(SAMMビデオ)の広告ページをUPされたことがあった。
84年初頭の広告であり、83年の撮影であれば時期的にはギリギリのところであるが、寺山の作品かどうか、確認がとれていない。
※西村さんから、このビデオは、「森美貴主演で、寺山久美ではない」との情報を頂きました。(08.07.20加筆)また最近、筆者も「美少女変態なぶり」という通販ビデオの広告を発見した。
こちらは、添付の画像が明らかに寺山久美であるが、80年代に乱発されたパクリジャケットによる、別の女優に作品である可能性が高い。
(画像は、明らかに、コレクター誌「処女縄」の一場面である。)

最後にもう一つ、寺山の肉声が聞けるカセット、ソノシート付のビニ本?「MY ROOM OH MY DREAM」(KUKI)というものもある。
当時、まだビデオが高価な時代、手軽なカセットで肉声が聞けるということで、いろんなモデルのものが発売された。
その大部分は、本人の声でないらしいのだが、それでも結構良く売れたとのことである。
寺山のものは、筆者は未見であるが、カセットには喘ぎ声、ソノシートには歌が入っている。
カセットの方は、いかにも「へたくそな喘ぎ声」が入っており、本人である可能性が高いとのことである。

ビニ本は、83年ごろから急速に衰退し、84年には一気に姿を消して行った。
ビニ本により、一躍有名となった寺山久美は、そのビニ本の衰退に時期を併せるように、83年ごろに姿を消し、以後全く足跡をたどる事が出来ない。
<「少女縛り絵図」(グリーン企画)より>



テーマ:SM - ジャンル:アダルト